Wednesday, March 2, 2011

カルチャーショック

キガリ郊外の一般的な住宅街
先週、日本の友人から日本の雑誌が送られてきました(ありがとう)。久々の日本語にとってもうれしかったのと同時に、カラフルな表紙と、字と写真がところせましと詰まったつるつるの紙面を眺めて、しばらくぼぉーーっとしてしまった。多分これカルチャーショック。

そういえばケープタウンに遊びに行ったときもそうだった。上から下まで物がびっしり詰まった陳列棚がところせましと並んだどこにでもあるような普通のスーパーで、しばらく焦点が合わずにぼぉーっとした。回転の速すぎるメリーゴーランドに乗ってるみたいな感じで、瞳孔が開きっぱなしだった。すごーい、すごーい、物がいっぱいあるよーーと(笑)

確信はできないけど多分、今後の人生で他の国に行ったり暮らしたりして、ものすごいカルチャーショックを受けるというのはもうない気がする。これまで散々世界の辺境の地で暮らしてきたし、ある意味場所が違えばカルチャーが違うのは当たり前だと脳が分かっているから、大丈夫なのだと思う。でも逆に、自分の国に久しぶりに帰ったときのショックがものすごい。自分の国で、自分はもう知っていると思っているところだからこそ、こりゃまたすごいカルチャーショックなんだわね。

ルワンダにきてはや4ヶ月を過ぎて、ずいぶん毎日の生活がルワンダペースになってきている今日この頃。東京のような、電車でひょいと都心に出て(ルワンダに電車はない)、気のおけない友達と駅前で待ち合わせして(そんな友人簡単にできない)、おいしいランチでも食べに行って(基本的に食事はおいしくない)、帰りに駅ビルで買い物して(一般スーパーとみやげ物屋以外の買い物スポットはほぼ皆無)、デパ地下で夕飯のおかずをかって(できあいのおかずなど存在しない)…という生活は望むだけ無駄なわけです。まぁ、そもそもこういう生活が大好きな人は途上国に住みたいとは思わないのだろうけど。

逆に、豊かな自然だとか、夜更かしのない規則的な生活とか、家庭菜園つきの広いおうちだとか、エアメールを出すどきどき感とか、エンドレスにできる読書とか、冷凍食品や加工食品のない新鮮な献立とか、全く持って「フツー」でない人生を暮らす国際人との出会いとか、地元の人との言語の通じないふれあいとか、いらいらする理解不能なビジネスの慣習とか、そういうの全部がおもしろい経験だと発想の転換ができる人は、こういう生活慣れちゃうのねきっと。

だから、私のカルチャーショックというのは、別に日本に帰るたびに日本文化が変わっているというわけじゃなくて(微妙に変わってはいるんだろうけど)、変わったのは自分の感覚と生活習慣なわけで、この巨大なカルチャーショックは自分の内部から由来しているというのが、これまたダブルでショック!(笑)ああまた自分はいつのまにかこんなに日本から遠いところにきてしまった、と嬉しいけれど悲しい気分にならざるを得ないのでした。

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