Sunday, June 19, 2011

選択肢があるという自由

貧困というのは1日に何ドルの収入しかないとかいうことではなくって、自分の人生を選ぶ自由というのがないことをいうんだと言ったのは、有名な経済学者のアマルティア・センだった(ような気がする…)けども、最近私はなんだか全然違うシチュエーションでそれを実感してます。

知り合いの方から布オムツの本をもらったので、今早速読んでいるのだけど、肌にもやさしいし環境にもやさしいしお財布にもやさしくて良いとのこと。本の片隅には生理用の布ナプキンについてもちょこっと触れていて、こちらもオムツ同様の理由でおすすめだとか。ルワンダでは、紙オムツも紙ナプキンもどちらも輸入品だから高級品で、しかも品質も決して良くないから、だったら布の方がいいなぁと思う。でもこれおそらく多くのルワンダ人にとっては、紙オムツ&紙ナプキンは欲しいけど買えない贅沢品なわけだから、お金のある外国人がわざわざ布を使うのを見たら、不思議に思うんだろうなぁ。

キャンプも同じこと。国立公園に行ったら、しょぼい山小屋に泊まるよりはキャンプファイアーをしてテントを張って寝袋で寝たい、と思うのは裕福な外国人だけ。キャンプファイアーでテントに寝袋的な生活が日常のルワンダ人にとっては、電気も水も通っていてベッドもあるのにどうしてわざわざ野外で寝るのか、きっと意味不明なことでしょう。

そして極めつけは、自然分娩。日本で自然分娩の予定です、と外国人に言うと、大抵ものすごく驚いて「すごい!偉いわね!」と褒めてくれます。というのもおそらく、今では多くの欧米諸国で無痛分娩が普通になっているから、自然分娩をするってことは自らの決断によるものなんだろう、と思われているんでしょう。中には「いかに自然分娩が美しくて素晴らしいものか」を紹介するウェブサイトを送ってくれたりするアメリカ人の友人もいました。でも、私にしてみれば病院の都合で自然分娩しか選択肢がなかったわけで、別に美しくも素晴らしくも偉くもなんでもないんです。

もし和痛や無痛分娩の選択肢が与えられていても、結局自然分娩を選んでいたのかもしれないけど、選べるか選べないかというのはかなり精神的に違うんだなぁというのをすごく実感しています。布おむつや布ナプキンも、紙を買いたければ買える余裕があるからこそあえてエンジョイできるもの。野外キャンプも、快適な家があるからこそたまに楽しめる。これがなんらかの理由で布しか使えない、毎日キャンプの生活しかできない、となったらどんなに不快なことか。

選択肢があるという自由、というのはそれだけで人を幸せにするんだなぁと思う。日本の病院もそこのところを考えて、和痛や無痛分娩の選択肢も与えて欲しいです、ぜひ。

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